2010年9月26日日曜日

猫には九つの魂がある

 急に涼しくなって、秋らしくなってまいりましたね。
暑い夏真っ盛りのビールも良いのですが、私はやっぱり涼しい中の刺身&
泡盛ロックというのが最高ですな。
そして、飲みながらにゃんこを愛でるのが、また最高☆
夫婦ともども「栗蔵がウチに来てくれて良かったよねぇ!」と酔っ払いらしく
同じ言葉を繰り返しては、喜びにも繰り返しひたっております。

今回は、この栗蔵との出会いについて思いを馳せてみました。

 始めは、先代にゃんこが白い被毛だったのでシルバーカラーの子にゃんこ
が欲しかったのです。
その為、最初キャッテリーへ向かう時にはシルバーの子がお目当てでした。
しかし、いざキャッテリーにお邪魔すると・・・・

(ソファの上・中央が栗蔵 / CatteryFelicoonさまから頂いた写真)

 もう、目の前には“ぽあぽあ・ぱふぱふの天使”が一杯!!
これで目移りするな、というのが無理ってもんです(*゜△゜*;
夫婦共にしばらく呆然とレスリングしている子にゃんこ達に見入っておりました。
すると、遊びつかれた栗蔵がヨチヨチと近づいてきて、座っている私の足に
もたれるようにして眠りだしたのです。

これがキマリ!でした。


栗蔵 ぽあぽあ・ぱふぱふの天使です!
(写真CatteryFelicoonさま)


 私には昔から、にゃんこについての妙な信念みたいなモノがありまして、
どんなものかというと・・・
【人が選ぶのではなくて、猫が人を選ぶ】のであり、それは
【猫には九つの魂がある】からなのだと、信じているのです。
ひとつめは説明不要と思われますが、ふたつめについては私独自の解釈を
しています。
この言葉がある事は知っていても、意味が判らないままでした。
私はこの言葉をそのままに、絵本「100万回生きた猫」みたいに何度も
にゃんこは転生するものだと思っているのです。
守護天使じゃないけど、私という人間を担当する一匹のにゃんこがいて、
その子がその時々に毛柄や瞳の色を変えながら、私の前に現れるのです。
私と一緒にいてくれた子は、何度も私の元に戻ってきてくれる。
だからこそ、選ぶのは私ではなくてにゃんこであり、にゃんこが私の方に
やって来てくれるハズなのです。

 そして、栗蔵がヨチヨチと私の足元にやって来たのです。

キャッテリーでの栗蔵の幼名は「しっぽクン」
勿論、この特徴的な白抜き尻尾からの由来です。
(写真CatteryFelicoonさま)

 後日、再びキャッテリーへ。
自分が迎えに来られた事を知らない栗蔵は、下男と私の足首に交互に
ジャレついてきました。
ホント不思議なもんで、他の子ではなく、やって来るのはこの子なのです。
「だからぁ、お前らが探しているのは僕なんやってば!」
ってカンジで念押ししてたんでしょうか、栗蔵。
ふっ・・・
「そんな時代もあったわねぇ~」
いや、あなたまだ2ヶ月も経ってないんですよ?


 まったくの余談ですが、
長年、意味の判らないままになっていた、あの【猫には九つの魂がある】と
いう言葉ですが、最近、ある本でアメリカの諺だと知りました。
正確には【A Cat has nine lives.】 (猫は九つの命をもつ)というのですって。
なんでも、「猫はしぶとい」とかいう意味合いらしいのですが・・・。

「ちょっと~!お酒、ないわよ~っ!ねぇってばぁ~!!」

栗蔵を見ていると、確かにある意味、しぶといかも?
・・・いや、図太いの間違いでした。


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